矢口高雄マンガで学んだホビーマンガの極意(第3回)

◆釣り好きも納得のリアルな釣り描写

 私も小学生の頃から釣りが好きで、鮎釣りも楽しんでいました。私が生まれ育った静岡県富士市は、日本の三大急流のひとつに数えられる富士川の下流にあたります。鮎釣りでも知られる川でしたが、『鮎』にも出てくる友釣りができるのは、もっと上流の山梨県に入ってから。河口付近で私が小学生のときに楽しんでいたのは、春、河口で孵化し、上流めざして昇りはじめる小鮎を釣ることでした。

 鮎は、成魚になると川底の石についた藻を食(は)むようになりますが、稚魚のうちは水性昆虫なども餌にしています。そこで使うのが、昆虫に見せかけた毛針でした。〈お染〉とか〈カラス〉とかいうような名前だったと思います。釣り糸の先端に1メートル幅くらいで2個の玉浮きをつけ、その間に4~5本の毛針を結んでたらします。これを釣り竿を振って上流に落とし、下流に向けて流しながら当たりを待ちます。河口に近い浅瀬ですが、流れが速いので、当たりがなければ、竿を上げて、また上流に振り落とします。

 鮎が毛針に食いつくと、ビクビクッと当たりが来ます。この瞬間が心地いいんです。毛針には返し(抜けないように針の先についたトゲのような部分)がないので、注意深く引きあげなければいけません。長靴を履いて入れる浅瀬ですが、流れも速く、けっこう悪戦苦闘したものです。

 小学4年生から5年生にかけては、鮎が遡上をはじめる春になると、毎週、日曜日の朝は、まだ暗いうちから自転車に乗って、富士川の河口に出かけていました。私は字が下手で、母親に書道塾に入れられたのですが、塾のあるのは日曜日の午前。当然、釣りを優先して、塾には2回ほど行っただけで終わってしまいました。おかげで、いまも字はヘタクソです。情けないほどに。

 少し経つと鮎を追ってもう少し上流に行き、深みにいる鮎を狙って、先端に円錐形になった鉛の錘をつけ、その上に毛針を並べるドブ釣りにもトライしました。でも、こちらの方法では、あまり釣れた記憶がありません。

 私の母は、いまの静岡市清水区を流れる興津川の上流部にある山村で生まれ育ちました。子どもの頃から春休み、夏休み、冬休みは、母の実家に預けられ、ここで同年代のイトコたちと山や川で遊んで過ごしました。遊びの先生は叔父でした。夏に川遊びに連れていかれ、深みに投げ込まれて、そこで泳ぎを覚えました。

 魚釣りも最初はハヤ釣りから。やがて箱メガネで川底を覗き、カジカや鮎を引っかけたり。ウナギ釣りにズガニ(モクズガニ)獲りも楽しむようになりました。(上の写真がズガニ。2012年、母の実家でイトコが捕まえてあったもの。直後に右の写真のようになった)

 中学生になると、夜、カーバイトランプを持って川に行き、浅瀬で寝ている鮎をナイロン製のタモ網で捕まえたり。鮎の好物でもある藻のついた石は、よく滑ります。そこで地下足袋を履いて、さらに草鞋もつけて滑り止めにしたものです。夜の川底には、夜行性のウナギやズガニも出ていて、川エビが目を青く光らせていました。

 ただし、鮎釣りはさせてもらえませんでした。なぜなら、お金がかかるからです。興津川は、鮎の解禁が全国で一番早く、叔父も夏になると友釣りを楽しんでいました。でも、その友釣りをするためには、漁協で〈監察〉という入漁証を買い、オトリの鮎も買わなければいけません。友釣りは大人でなければ楽しめない贅沢な釣りでした。

 そんなわけで自分では友釣りの経験はありませんでしたが、大人が友釣りをしているところは、よく見ていました。ですから、おとり鮎に鼻環をつけて泳がせ、そこに体当たりしてくる鮎を引っかける友釣りの方法も、見知っていました。

 鮎釣りには、ほかに、竿の先から垂らした錘と引っかけ針をゴロゴロと転がし、鮎を捕る〈ゴロ引き〉という釣り方もありました。地方によっては〈転がし〉と言ったりするようです。友釣りもゴロ引きも、餌や毛針を食べさせるのではなく、胴に針を引っかける方法です。ちょっと残酷な印象もあって、あまりやりたいとは思いませんでした。

 でも、叔父をはじめ友釣りをする大人は、この友釣りこそが釣りの極致のようなことだというのです。当たりの瞬間が、友釣りに優るものはないというのです。

 残念なことに自分では体験していませんでしたが、友釣りの方法は見知っていました。その友釣りの方法が〈リアル〉に描かれていたのが「少年サンデー」に掲載された『鮎』というマンガだったのです。

次回につづく