すがやみつるのデジタルマンガことはじめ(8)
タブレットを買った

ペンタブで絵を描いてみたら……

 いま、描き下ろしのマンガ単行本をはじめ、数冊の本の原稿を同時に進めているもので、こちらの更新も遅れがちです。すみません。とりあえずデジタルマンガとの関わりについて、その後のことにも触れてみます。

 私は、1985年からパソコン通信をはじめると、モータースポーツの記事をニフティサーブなどのネットに送るようになりました。モータースポーツ雑誌にもエッセイやコラム、海外レースのニュース記事を連載するようになり、文章を書く面白さにめざめたのも、パソコンとネットがあったからでしょう。

 1990年代に入ってニフティサーブの「本と雑誌フォーラム(FBOOK)」に小説を連載していたら、完結と同時に大手出版社の文芸担当編集者が、この小説を本にしないかと声をかけてくれました。

 もちろんノーというはずがありません。修正についてのアドバイスをもらい、全面改稿した原稿をすぐに送りました。

 ところが、原稿は不採用でした。世界のネットワークを舞台にした、いわゆるネット犯罪を題材にしたもので、担当編集者は面白がってくれたのですが、上司の方から、「こんなカタカナだらけの原稿じゃ読む気がしない」といわれてしまったとのこと。

 せっかく書いた長編小説なので、もったいないと思い、旧知の出版社社長に読んでもらうことにしました。大手出版社の子会社で、新書ノベルスも出しており、社長が編集長も兼ねていた出版社です。でも、いつまで経っても返事はありません。こういうときは、まず読まれていないに決まっています。ならばと思って第2作を書き上げ、「近所まで来たので」とウソをついて同じ出版社に出向き、ふたたび編集長に原稿を預けました。預けたのは江戸時代の浮世絵師を主人公にした時代ミステリーでした。

 しかし、これも返事はナシのつぶて。それならばと、こんどは、その出版社から数多く出ていた「トラベルミステリー」を真似たものを書きました。ある日の夜、九州の佐賀県で起きた殺人事件の犯人と目された男が、翌朝には東京にいたことがわかりました。空白の時間帯があるのですが、夜であるために飛行機も飛んでいないし、新幹線も走っていません。もし、この男が犯人なら、どうやって佐賀~東京間を移動したのか――という時刻表を使ったミステリーでした。長崎・佐賀方面からの寝台特急では、翌朝、東京に着けません。そこで犯人が使った方法は……というようなストーリーでした。

 原稿を預けて1週間ほどが過ぎた頃、編集長から電話がかかってきました。「しつこく持ってくるから読んでみた」そうで、それまでの原稿は、やはり読まれないまま処分されていました。

「昔からマンガ家の書いた小説というものを付き合いで読まされてきたけど、箸にも棒にも引っかからないようなのばかりでね。それで、すがやクンのも同じだろうと思ってね」とのこと。まあ、そんなものでしょう。でも、しつこく持ってくるので、かわいそうに思って読んでくれたようです。

 内容については、「よくできていて出版レベルにある」と言ってもらえましたが、でも、「既製の作家が書くようなストーリーで、新人が書く内容ではない」とのこと。また、新人の本は「江戸川乱歩賞」や「横溝正史賞」を受賞したような作家のものでないと出せないとのことでした。小さな出版社が新人の本を出すのは、リスクが高いからです。

 そんなわけで持ち込んだミステリーの原稿はボツになりましたが、「小説を書く筆力があるのはわかった。そこで提案なんだけど、ジャンル小説を書いてみる気はないかね? 早くいえば〈仮想戦記小説〉なんだけどね」

 私はマンガの描きはじめが戦記マンガだったこともあり、このジャンルにも抵抗はありませんでした。即座に「はい」と返事して、近未来(2005年)を舞台に国産のステルス戦闘機が活躍する小説を書きあげたところ、細かい修正はありましたが、無事に出版に漕ぎつけました。これが小説デビュー作『漆黒の独立航空隊』です。1994年のことで、44歳になっていた私は、これを機にマンガの仕事は休止して小説に専念し、その後、10年ちょっとの間に64冊の小説を上梓することになりました。

 ときおりマンガの仕事もしていましたが、絵を描くのはイラストかカット程度。80年代の終わりに小さなタブレットを購入しましたが、まるで使いものにならず、すぐに放置してしまいました。

 ――これならマンガの仕事に使えそうだ!

 そう思ったのは、パソコンショップでワコムのペンタブレットIntuosを触ったときのことでした。実際に買ったのは2になってから。このペンタブでは、たくさんのカットやイラストを描くことになりました。値段の安いPhotoshop LEを使っていたので、レイヤーが使えず、そのため下絵なしで絵を描いていました。これでは細かい絵は描けません。それでギャグマンガ系のシンプルな絵柄の仕事のみ、タブレットを使うようになりました。以下に掲載したのは、実業之日本社の「週刊小説」という雑誌に連載した『パソコン言葉チンプンカンプン』というコラムに添えたカットです。文とカットの両方を書いていました。

「オヤジ向け」を意識したコラムでしたが、連載は93回もつづきました。文章の方も、機会を見つけて紹介させていただきます。あー、それにしても、いまのご時世じゃ載せるのに勇気が要るようなもののあるなあ……。

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