すがやみつるのデジタルマンガことはじめ(5)

日本初のMacを使った商業マンガを描いたマンガ家は?

 あのアップル社が、アメリカで人気ナンバーワンのスポーツイベントであるスーパーボウルのテレビ中継で、新製品となるMacintosh(Mac)のCMを放映したのは1984年1月のことでした。CMの内容は、ビッグブラザーが支配するデストピアの世界で、ひとりの女性が支配者の映像めがけて鉄のハンマーを投げつけるというものでした。

 1984年という年は、イギリス人作家のジョージ・オーウェルが1949年に発表したディストピア小説『1984』のタイトルにもなった年で、アップル社のCMも、これを意識したものでした。CMに描かれたビッグブラザーは、当時、大型コンピューターの市場に君臨していたIBMをイメージしたものとも言われていました。

 前年の1983年、私は、カリフォルニア州ロングビーチで開催されたF1アメリカ西グランプリの観戦に出かけましたが、その帰途、シリコンバレーにまわり、アップル本社も訪ねました。いや、訪ねたわけではなく、通りがかったついでに、記念撮影をしてきただけでしたが。

 この頃、パソコンといえば、キーボードから打ち込む文字や数字のコマンドによって操作するものでした。そこに登場したMacは、モノクロディスプレイこそ小さいものの、当時の他のパソコンに比べると画面の解像度が高く、何よりもマウスによって操作するGUI(グラフィック・ユーザー・インターエフィス)が革新的なパソコンだったのです。

 Macは、確かに革新的であり革命的な製品でしたが、問題は値段でした。日本で1984年4月に発売されたのですが、価格は69万8000円もしたのです。そのため、発売当初にMacを購入していたのは、医師などの高額所得者が中心でした。当時の私は、マンガの仕事も忙しく、パソコンも給与計算くらいにしか使っていませんでした。翌85年になってパソコン通信の存在を知り、購入したのはNECの16ビットパソコン、PC-9801m2です(写真は音響カプラーを接続してパソコン通信に使っていた筆者所有のPC-9801m2)。

 前回の本コラムで紹介したとおり、1985年にパソコン通信を開始した直後、「日経パソコン」の林記者から『Shatter』というMacを使って描かれたアメコミの存在を教えられたのですが、さらに、小学館の「週刊ポスト」から、「Macを貸してもらえるので、これを使ってマンガを描いてみないか」という電話があったのです。

 もちろんイヤなはずがありません。即断で引き受けると、当時、西武池袋線・石神井公園駅ちかくに借りていた事務所に、販売代理店からMacが送られてきました。

 届いたのはメモリーが128KBの初代MacとImageWriterというプリンター。ImageWriterは、144dpiのドット・インパクト・プリンターで、これでマンガの絵をプリントして原稿にすることになります。144dpiという解像度はFAXに近いものでしたが、その頃としては、相当に高解像度のプリンターだといえました。

 マンガを描くソフトはMac付属のMacPaintというお絵描きソフト。わずか9インチのモノクロディスプレイの上で、コマを割り、マウスで絵を描いていくことになります。

 8ページのマンガのタイトルは、『パソコンコミック劇場/ビジネス・ウォーゲーム/突撃ヒラリーマン/名刺ハンターゲームの巻』という長いものになりました。当時、アシスタントは4~5人いましたが、Macは1台だけ。当然、アシスタントは休みにして、ひとりで描くしかありません。狭い画面と睨めっこして、慣れないマウスでヨチヨチしながら、なんとか描きあげました。

 ImageWriterでプリントした原稿を見た編集者に見せると、「うーん」と渋い顔に。「原稿がキレイすぎるので、コンピューターで描いたように見えない」と言うのです。「もっとギザギザしたコンピューターらしい感じになりませんか」とも言われてしまいました。

 今風にいえばジャギーでドットマトリクスな感じとでもいうのでしょうか。困ったな……と思ったのですが、解決策は、すぐに見つかりました。実はImageWriterというドット・インパクト・プリンターには、ドットのギザギザの隙間を埋めるSmoosing(スムージング)という機能があり、これをオンにしていたのを思い出したのです。

 スムージングの機能をオフにしたところ、ギザギザ感は出たように見えましたが、それ以前の16ドット、24ドットあたりのドット・プリンターに比べたら、はるかにキレイです。「縮小印刷されたら、ギザギザも目立たなくなるのでは?」と思ったのですが、やはり、その通りになりました。

 マウスでヨチヨチと描いた『突撃ヒラリーマン』は、「日本初のパソコンで描かれた商業マンガ」だと自負していました。しかし、その自負は、まもなく消し飛ぶことになります。というのも、私より先にパソコンで描いたマンガを商業誌に載せていたマンガ家がいたからです。

 そのマンガ家の名は寺沢武一氏。作品名は『黒騎士(ブラックナイト)バット』で「週刊少年ジャンプ」の1985年31〜40号に連載されました。1985年7月からのスタートで、私の『突撃ヒラリーマン』より2ヶ月早い掲載でした。

 というわけで「日本初のパソコンで商業マンガを描いたマンガ家」の称号を名乗るわけにはいかなくなりましたが、「日本初のMacで商業マンガを描いたマンガ家」という称号は死守しています。とくに名誉ある称号でもないのですが(笑)。

 このマンガ『突撃! ヒラリーマン』は、次回から掲載していますので、よければご覧ください。「週刊ポスト」掲載後の反応や、その後の私のデジタルマンガへの取り組みは、次回のコラムで書かせていただきます。