「あれれ、どうしたんですか?」
と訊ねると、「コロコロコミック」の編集者から、「これからのマンガ家はFAXくらい入れなきゃダメだ」と言われたのだとか。「すがやさんを見習いなさいよ」とも言われたそうで、FAXの入れ方を尋ねるために談話をかけてきたのでした。
こちらには「FAXの打ち合わせはダメ」と言っていたはずなのに、見事な二枚舌ではありませんか。
でも、そう言いたくなる理由もわかる気がしました。その頃、私の事務所は西武池袋線の石神井公園駅から徒歩1~2分ほどの場所にありました。小学館からは1時間ほどで来られます。電話をかけてきたマンガ家さんは、千葉県の内陸部在住で、小学館からだと片道2時間ほどかかるとか。往復4時間かかり、打ち合わせの時間も入れたら、それだけで半日は潰れてしまいます。編集者が打ち合わせに行くのを億劫に思うのも、それは人情というものでしょう。
このマンガ家さんが、その後、FAXを導入したかどうかは聞いていません。でも、入れなかったのではないでしょうか。FAXは、まだ高価でしたし、つなぐ相手も少なく、導入しても採算をとるのはむずかしい時代だったからです。
アマチュア無線をやり、パソコンにも手を出していた私は、この直前にアルビン・トフラーが『第三の波』でブームをもたらした「ニューメディア」にも強い魅力を感じていました。
――マンガも含む出版物は、光ファイバーを使った高速回線を通じて、家庭に直接送られる時代が来るのではないか?
――マンガ家が描いたマンガも、出版社を経ることなく読者に届けられる時代になるのではないか?
こんなことを夢想する変わったマンガ家でもありました。
FAXを導入したのは、「電話回線経由で絵を送る」ことを体感したかったから。マンガ雑誌にネームを送ることは断念していましたが、マンガの原稿そのものを送ることは諦めてはいませんでした。
200dpiの解像度では、ストーリーマンガの原稿送信には使えたもんじゃありません。でも、ここで私は発想の転換をしたのです。
それは、「FAXで送れる絵柄にすればいいじゃん!」ということでした。
そうです。線が多く、背景も緻密なストーリーマンガだから、FAXが原稿の送信に使えないのです。でも、線が単純なギャグマンガや大人漫画なら、FAXでも原稿が送れるのではないか? FAXのギザギザ(当時はジャギーなんて言葉はありませんでした)も、原稿の拡大率を大きくすれば、気にならないんじゃないか?
そんなことを考えていたら、マンガの原稿をFAXで送信する先駆者がいることがわかりました。新聞に一コママンガを掲載していた秋竜山氏が、FAXを使っていたのです。夕刊フジあたりの新聞にも、FAXで送られているのでは、と思えるようなジャギーなマンガが載ることがありました。
『ゲームセンターあらし』がアニメ化されたのは1982年ですが、同じ年の9月に創刊された講談社の「コミックモーニング(現『週刊モーニング』)」には、創刊時から大人向けのマンガを初連載していました。
――こちらの路線の絵柄なら、FAXで送れるのではないか?
そう考えると、いても立ってもいられなくなり、次第に仕事を大人向けにシフトしていくことになります。でも、すぐには転向できたわけではありません。児童マンガを描きながらの大人向けへの転向でした。
でも、そうしているうちに、別の新しいものに遭遇してしまいます。それは「パソコン通信」でした。
パソコン通信を体験したことで、デジタルマンガにも手を出すことになるのですが、その話は次回にさせていただきます。
〈つづく〉