矢口高雄マンガで学んだホビーマンガの極意(第1回)

◆きっかけは読み切りマンガの『鮎』

 Twitterで矢口高雄先生の矢口プロの方がツイートしてくださったので、あらためて紹介させていただきます。

 いま、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』の舞台にもなっている宮城県登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館で、5月22日(土)~7月11日(日)の間、企画展として「矢口高雄追悼展」が開かれています。昨年11月に亡くなった『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄先生を偲ぶもので、矢口先生に縁(ゆかり)のあった方、矢口先生を敬愛する皆さん(歌手の井上陽水さんなども)が描いたり書いたりした色紙も多く展示されています。

 光栄なことに私の色紙も飾られているのですが、これは私が数多く描いてきた「ホビーマンガ」の原点が、矢口先生の商業誌デビュー作であったことをTwitterで紹介したことがきっかけでした。

 矢口先生が『鮎』を描いたのは1970年のこと。商業誌というのは「少年サンデー」でした。そのとき矢口先生は、高橋高雄という本名で作品を発表していました。デビューは前年の1969年のこと。「ガロ」の新人賞に応募した『長持唄考』という読み切り作品が入選し、掲載されました。私は、この年の春、高校を卒業し、アシスタントになっていました。当然、新人賞には敏感で、『長持唄考』も読みましたが、白土三平タッチが色濃く、しかも新人らしくない作風で、失礼ながら、強い関心は持ちませんでした。(図:『鮎』〈朝日ソノラマ刊〉より © 矢口高雄)

 ところが翌年、「少年サンデー」に『長持唄考』の作者の読み切り作品が掲載されているのを発見します。それが『鮎』だったのです。

『鮎』を読んで「がーん!」とショックを受けました。なぜショックを受けたかといえば、そこに描かれている鮎釣りが、あまりにもリアルだったからです。

次回につづく