私が高校の終わりに取得した免許は、正確には「アマチュア無線従事者免許」といいます。1級、2級、電信級、電話級の4種類があり、私が取得したのは、いちばん試験が易しい電話級でした。電話級は現在の4級に当たります。
従事者免許は文字どおり無線業務に従事する人間に与えられるものです。でも、この免許だけでは無線機を買ってきても、電波を出すことができません。アマチュア無線用の技術に適合した無線機を用意し、その内容を郵政省(当時。現・総務省)に申請して、アマチュア無線局の免許を受けます。その無線局に与えられるのがJH1XYZのようなコールサインになります。つまり、無線従事者免許と無線局の免許が揃って、はじめて無線による交信ができるようになるわけです。
(写真:アマチュア無線の従事者免許証。高校生のときに取得した免許証を紛失したため、平成21年に再交付してもらったもの)
コールサインを得るためには、まず認可された無線機を買って、無線局の開局申請をしなければなりません。自作してもいいのですが、その場合は検査を受ける必要があって面倒です。とはいえアマチュア無線用の送信機や受信機、送受信機が一体になったトランシーバーは、安いものではありません。憧れだったトリオの送信機TX-88A、受信機9R-59Dのセットを揃えると、7万円くらいしたんじゃないかと思います。
『幻の大岩魚アカブチ』が発表された1973年の大学新卒者の初任給は62,300円でした。現在の貨幣価値で159,017円だといいます(参照先: https://nenji-toukei.com/n/kiji/10021 )。新卒初任給よりも高い金額が必要になるので、やはり、おいそれとは無線機を買いそろえるわけにはいきません。『仮面ライダー』を月に200~300ページも描いてましたが、原稿料は高くありません。しかも臨時アシスタントを雇ってばかりで、アシスタント代で原稿料は消えていました。
(写真右上:『9R‐59とTX‐88A物語―わが青春の高一中二+807シングル』〈高田継男著/CQ出版/2004〉。このような本が21世紀になって出るほどに、9R-59とTX-88Aは人気があった。すがやは買うことができなかったが、こちらの本は刊行されると同時に購入した)
(写真左下:TX-88Aに使われていた真空管807。すがや所蔵。ネット仲間からの頂きもの)
そんなとき閃いたのが、「そうだ! アマチュア無線のマンガを描けばいいんだ!」ということでした。そして、アマチュア無線をテーマにしたマンガを描いてしまいます。
掲載誌は「中一時代」(旺文社)の9月号。伊豆の離島で発生した地震で重傷を負った少女を、ハムの免許を持っていた中学生が無線で救援ヘリを呼んで助けるというストーリーでした。タイトルは『いつか夜空で』といいます。
小学生のとき、アマチュア無線家の交信で血清を運び、食中毒にかかった漁船の乗組員を助ける『空と海の間で』という映画を見たことがありました。これが最初にアマチュア無線に興味を持つきっかけでしたが、『いつか夜空で』というマンガは、このストーリーをヒントにしたものでした。ただし、きっかけは『幻の大岩魚アカブチ』だったことはまちがいありません。
「中一時代」は原稿料もよかったので、その原稿料で無線機を買えればよかったのですが、そううまくはいきませんでした。仕事の量が多かったため、臨時雇いでアシスタントを頼むことが多く、原稿料は人件費で消えてしまうからです。「取材に使いたい」と言ってイトコからカメラを借り、そのまま質屋に持っていったり。母が大事にしていたダイヤの指輪も、何度も質屋の暖簾をくぐったものです。仕事量が多くて貧乏になる状態でしたが、石ノ森先生から言われていた「お前は下手なんだから、人の3倍描け」という言葉を忠実に守っていました。
こんな状態でしたので、「無線はやりたいけど、いまは無理だなあ……」と断念するしかありませんでした。
そんなとき、思わぬところから幸運の女神が微笑みかけてくれたのです。その幸運をもたらしてくれたのは、石森プロのマネージャーでした。
(次回につづく)