矢口高雄マンガで学んだホビーマンガの極意(第4回)

◆〈リアル〉という名の〈こだわり〉

『鮎』の絵は、劇画のような写真みたいに精細に描かれたものではありません。どこに〈リアル〉を感じたかといえば、その釣りの描写でした。

「ここまでマンガで描いていいんだ……!」

『鮎』の釣りの描写に〈リアル〉を感じて、ちょっと大げさにいえば、戦慄を覚えるほどだったのです。

(画像は朝日ソノラマ刊『鮎』より。© Takao Yaguchi)

「ここまで」というのは〈釣り〉という〈趣味の世界〉をリアルに描いていたからでもありました。この頃、プロのマンガ家になる条件として、「いろんな知識を広く浅く持っていること」というものがありました。どんな注文が来てもスラスラと描けるのが〈良いマンガ家〉だったのでしょう。

 でも私は、いわゆるオタク気質があったせいか、もう少し〈こだわり〉みたいなものがあるマンガがあってもいいのではないかと思っていました。たとえば私は航空戦記マンガが好きでしたが、数ある同種のマンガで、出てくる戦闘機や爆撃機が本当にリアルだと思える絵を描いていたのは、松本零士氏など、ほんの一握りだけでした。いくら斜線やトーンで写実的に描こうとしても、飛行機のことがわかっていないとウソっぽくなってしまうのです。反対に、絵はギャグマンガのように単純でも、飛行機のことがわかっていれば描写はリアルになります。その代表は、わちさんぺい氏でした。

『ナガシマくん』や『火星ちゃん』といったギャグマンガで知られるわち氏ですが、『虎の子兵曹長』や『わんわん航空隊』といった航空戦記マンガも描いていました。他の多くの航空戦記マンガが〈零戦〉や〈紫電改〉が活躍する海軍航空隊モノだったのに対し、わち氏の作品は〈隼〉が活躍する陸軍航空隊モノでした。ほかに陸軍系というと『大空のちかい』(久里一平)くらいしか記憶にありません。わち氏は陸軍航空隊で整備兵をしていたこともあって、陸軍モノを描いていたようですが、その戦記マンガは、絵柄はシンプルでも描写はリアルそのものでした。

 たとえば爆撃によって重油タンクが爆発するシーンがありました。たいていの航空戦記マンガは、爆発といえばドカーン、バカーンと閃光が走り、黒煙が飛び散るだけでしたが、わち氏は、火薬の爆発と油の爆発を描き分けていたのです。重油タンクが爆発したところは、竹ペンで描いたような荒いタッチでしたが、紅蓮の炎とともに黒煙が渦巻きながら天に昇る様子が描写されていたのです。私だって本物の爆発はテレビや映画でしか見たことがありませんが、そんな映像が、わち氏のマンガでは、シンプルな描写ながら再現されていたのです。

(図は西谷祥子氏作『わが魂の清ければ』〈「月刊セブンティーン」1970〉より。この絵は、すがやがアシスタントとして描いたもの)

 そうです。〈リアル〉とは、絵柄のことではありません、もっと端的にいえば、〈作者のこだわり〉とでもいえるでしょうか。題材に対する〈好きさ加減〉であったり、さらには〈愛情〉といってもいいのかもしれません。

 私が『鮎』に感じた〈リアル〉も、そのようなものでした。そこには釣りに対する〈作者の愛〉が感じられたのです。自分で釣りをしているからこそ、こんな作品が描けるに違いない。それは確信みたいなものでした。

 私もデビュー前で、早くデビューしたいと、あれこれ模索している頃でした。そんなときに読んだ『鮎』は、ちょっとした閃きめいたものを与えてくれました。でも、それがどんなものになるか、その頃は、明確な手がかりは得られていませんでした。

 ――この高橋高雄という人の釣りマンガをもっと読んでみたい。

 そう思ったのですが、次に「少年サンデー」に載ったのは釣りマンガではありませんでした。梶原一騎氏の原作がつき、矢口高雄というペンネームで描いた連載マンガは『おとこ道』というタイトルになっていました。申し訳ないのですが、このマンガは好みではなく、1回目に目を通しただけで終わってしまいました。

次回につづく